
95年八丈戦の「事件」で考えたこと/前田三夫4
帝京監督の前田三夫は、89年夏にエース吉岡雄二投手(元楽天)を擁して、悲願の日本一に輝いた。仙台育英(宮城)との決勝は、延長10回、2-0で競り勝ち、深紅の大優勝旗を手にした。92年春は…[続きを読む]
2018年夏、全国高校野球選手権大会(甲子園)が100回大会を迎えます。その記念大会へ向け、日刊スポーツが総力を挙げた連載を毎日掲載します。
帝京監督の前田三夫は、89年夏にエース吉岡雄二投手(元楽天)を擁して、悲願の日本一に輝いた。仙台育英(宮城)との決勝は、延長10回、2-0で競り勝ち、深紅の大優勝旗を手にした。92年春は…[続きを読む]
80年春のセンバツ、帝京監督の前田三夫は伊東昭光(元ヤクルト)を擁して初めて甲子園の決勝まで勝ち上がった。延長10回0-1で高知商に敗れたが、全国制覇まであと1歩までこぎ着けた。帝京で野…[続きを読む]
22歳で帝京の監督に就任した前田三夫は、順風満帆なスタートではなかった。1月の就任直後から猛練習を課し、約40人いた部員は2週間ほどで4人になった。当時のグラウンドは、全国クラスの強豪だ…[続きを読む]
控え選手だった大学時代こそが、監督人生の原点。全国高校野球選手権大会が100回大会を迎える今年夏までの長期連載「野球の国から高校野球編」。名物監督の信念やそれを形づくる原点に迫る「監督シ…[続きを読む]
中村順司が文字で残した夢は、プロ野球選手だった。生まれ育ったのは福岡・中間市の炭鉱町。西鉄ライオンズの黄金時代で、少年たちは中西太、豊田泰光らスター選手にあこがれた。最盛期の炭鉱町には準…[続きを読む]
1981年(昭56)巨人3位の吉村禎章(現巨人打撃コーチ)から、中村順司は多くの教え子をプロに送った。監督としての初代チームのエース西川佳明は、法大を経て南海(現ソフトバンク)の1位に。…[続きを読む]
1981年(昭56)春、PL学園監督の中村順司は甲子園の初采配を優勝で飾った。翌年の春も制し、史上2校目のセンバツ連覇。83年夏も頂点に立ち、84年春の決勝で岩倉(東京)に敗れるまで20…[続きを読む]
1980年(昭55)秋、中村順司は前任の鶴岡泰からチームを引き継ぎ、PL学園監督に就任した。名古屋商大卒業後にキャタピラー三菱(当時)で7年間社会人野球に打ち込み、76年から教団に請われ…[続きを読む]
全国高校野球選手権大会が100回大会を迎える2018年夏までの長期連載「野球の国から高校野球編」。名物監督の信念やそれを形づくる原点に迫る「監督シリーズ」第4弾は、PL学園(大阪)を率い…[続きを読む]
グラウンドを離れても、小倉全由は一番に選手を気にかける。関東第一の監督時代はお祝いの日にはケーキを自腹で購入し、プレゼントした。選手は大喜びだったが、家計に直接響いた。夫人の敏子からは「…[続きを読む]