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野球の国から 高校野球編

 2018年夏、全国高校野球選手権大会(甲子園)が100回大会を迎えます。その記念大会へ向け、日刊スポーツが総力を挙げた連載を毎日掲載します。

新着コラム

渡辺氏が財布に入れて持ち歩いている亡くなった丹波氏の投球写真

横浜の同期生で名参謀の小倉清一郎とともに高校球史に残る歴史を築き上げた。「小倉も教職を取ったが、ほとんど授業は教えなかった。その間、野球の勉強をものすごくしていた。勝たせる野球、ID野球…[]

佐野元国氏

「夏の呪縛」にさいなまれた渡辺が行き着いた先は北海道だった。「どこか遠くへ、遠くへ行きたかった」。女満別空港へ降り立ち、網走、知床を転々とした。釧路のビジネスホテルに着くと学校へ辞表を送…[]

73年4月、センバツ初出場初優勝を飾り、新横浜駅からオープンカーでパレードをする渡辺監督(左)と高橋主将(右)

渡辺の標的は定まった。「打倒東海、打倒原」。元巨人監督の原辰徳の父である原貢は、65年夏に初出場の三池工(福岡)を優勝へ導き、東海大相模へやってきた。原の元へ、全国各地から有望な選手が集…[]

蔦文也氏の告別式に集まった大勢の弔問客

池田高校にも春が来た。3月10日、三好市吉野川運動公園池田球場には池田ナインの声が響いていた。18年の練習試合初戦。最近は必ず智弁和歌山が池田までやってくる。池田の元監督・岡田康志や現監…[]

池田の梶田茂生投手

タヌキに化けたことがある。「タヌキ?そんなんではないわ。あのときは正直に言うたまでじゃ」86年春に池田(徳島)は決勝で宇都宮南(栃木)と対戦した。雨で1日順延となって、決戦前日の監督取材…[]

74年、センバツ決勝で報徳に敗れた池田ナインと蔦監督

甲子園へ来て、蔦文也が大失敗をした。グラウンドではなく、決勝戦前夜に池田(徳島)の定宿・網引旅館で起こったことだ。74年春のこと。甲子園は2度目の出場でセンバツは初だった。そこで決勝進出…[]

47年8月、第18回都市対抗野球に出場した全徳島の蔦文也投手

豪打のチームを作り上げる蔦文也は「攻めダルマ」と呼ばれた。それに関して本人は「気に入っとるとか入らんとかではなくて、気にしとらんかった」と答えた。池田(徳島)の監督・蔦の野球を単なる打撃…[]

「攻めダルマ」と呼ばれた池田・蔦監督

全国高校野球選手権大会が100回大会を迎える2018年夏までの長期連載「野球の国から高校野球編」。名物監督の信念やそれを形づくる原点に迫る「監督シリーズ」の第15弾は、池田(徳島)を率い…[]





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智弁学園-智弁和歌山ほか/春季近畿大会速報中
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