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野球の国から 高校野球編

 2018年夏、全国高校野球選手権大会(甲子園)が100回大会を迎えます。その記念大会へ向け、日刊スポーツが総力を挙げた連載を毎日掲載します。

新着コラム

88年8月、準々決勝の宇部商戦で最後の打者を投飛に打ち取り喜ぶ浦和市立・星野

無欲で勝ち上がってきた浦和市立の「さわやか旋風」は、準々決勝でも吹いていた。相手は「ミラクル宇部商」。一時は3点差を追う劣勢も、6回と7回に加点し同点。延長10回裏、1死二、三塁の一打サ…[]

主将のそう手克尚さん(左)とエース星野豊さん

平均身長171センチの小兵軍団浦和市立が、甲子園にやってきた。県大会優勝さえ想定していなかったチームは、甲子園対策など当然していなかった。それでも「枠にとらわれない考え方」が、4強入りの…[]

50年6月、ノックを行った飛田穂洲(前列)を囲む水戸一ナイン。後列右から2人目が小田部龍雄氏(小田部氏提供)

「一球入魂」。この言葉を生んだ「学生野球の父」飛田穂洲(とびた・すいしゅう)の母校、水戸一(茨城)。旧制水戸中時代に2度、水戸一で1度夏の甲子園に出場したが、54年(昭29)以降、道は閉…[]

「2代目道場」屋外マウンドからの投球練習。ホームプレートまでの正規の距離で、道場内は縦21メートル、横5・5メートル、165平米の広さがあった(桐生市教育委員会提供)

群馬に、高校野球に人生をささげた監督がいた。稲川東一郎は戦前戦後を通じ、桐生高校を40年以上率い、甲子園に24回出場した。代名詞は、通称「稲川道場」と呼ばれた野球場。54年に自宅を改装し…[]

成田高校が保管している「世紀のミスジャッジ」として伝わる写真

「世紀の誤審」と呼ばれた写真が、千葉・成田高の校史資料室に眠っている。アウトと判定された本塁クロスプレーが、写真ではセーフに見える。実際はセーフだったのか。72年前の秘話を探りに成田を訪…[]





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「ライトは風がフォローだったしな」/金本監督
「ライトは風がフォローだったしな」/金本監督 [記事へ]





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